地域活性化成功のために、成功例・失敗例から学ぶ!

日本のあちこちで、地域活性化のための取り組みが盛んにおこなわれるようになって久しいです。
地域活性化とは、急速に進む少子高齢化、東京への一極集中と地方の人口減少など、日本が直面する課題に取り組み、解決への糸口を見つけようとすることです。
全国各地で行われている地域活性化の取り組みの成功例や失敗例を通して、地域活性化成功のための教訓を学びましょう。
地域活性化がめざすもの

日本では、1953年の「離島振興法」からはじまり、何次にもわたる「全国総合開発計画」へ、地域活性化対策が行われてきました。
従来の国主導の画一的なハード事業に対しての見直しが行われ、各地域の選択と責任により、それぞれの地域の特性を生かし、自主的、自立的に施策を行っていこうとするものが地域活性化です。
それぞれの地域が地域の経済や社会、文化などの動きを活発化させたり、地域の人々の意欲を向上させたりすることです。
特に、2014年に第二次安倍内閣が日本全体の活力向上を目指す看板政策として「地方創生」を掲げたことを期に全国的な課題として認識され、広く取り組みが始まりました。
具体的には、以下のような分野で取り組みます。
● 産業振興
● 経済振興
● 観光・交流の活性化
● 次世代の担い手づくり
地方に新しい仕事を創り住環境を向上させ、都市部からの地方移住や関係人口を創出することで新しい人の流れを生み出せば、人口減少と東京一極集中という社会課題を改善し、それらがもたらす負の連鎖を食い止められるはずです。
地域活性化の取り組み成功例 3例

「地域活性化」というと、これまでにない新しい発想で新しい取り組みをしなければならない、と考えるかもしれません。
とはいえ、まずは地域にあるヒト・コト・モノなど、既存の地域資源や産業、地域の特徴、長所に着目し、それらを活かす方法を考えることが地域活性化への近道です。
いくつかの分野における成功事例を見ていきましょう。
産業振興:福井県鯖江市 地域ブランド戦略「めがねのまちさばえ」
福井県鯖江市のメガネ枠製造は、明治38年に創始者と呼ばれる増永五左衛門が農閑期の副業としてはじまりました。当時眼鏡作りが盛んであった大阪や東京から職人を招き、近在の弟子に眼鏡の製造技術を伝えたことが始まりといわれています。
戦後の高度経済成長の中で眼鏡の需要も急増し、産地として大きく成長しました。海外の有名ブランドのOEM生産でも有名でした。
ところが、他の製造業と同様、安い中国製品に押され、廃業するメーカーもあって、どんどん後継者がいなくなっていました。
そんな中、官民が一体となって、「めがねのまちさばえ」のブランディングと移住者と生産者が経済を動かす産業観光イベントを行っています。
例えば、学生との連携の「鯖江市地域活性化プランコンテスト」等を通して提案された意見を積極的に行政も事業者も取り入れ、変化していきました。
また、商品を購入できるイベントとして産業観光イベントも盛況に開催されるようになっています。開催日には、全国から人が訪れ、産地のPRにとどまらず移住者や関係人口の増加、雇用拡大にも貢献し、新しく持続可能な地域経済圏を生み出しています。
最近では、大都市圏からのサテライトオフィスの誘致に熱心に取り組み、地域の住民だけでなく、移住者によって鯖江の産業を好循環させています。
これは、「めがねのまちさばえ」というポテンシャルを大いに活用し、成功した事例と言えます。
経済振興:徳島県上勝町 葉っぱビジネスとSDGs
徳島県上勝町は、徳島県中部にあり、2022年9月1日現在、人口1,327人の四国の町の中では最も人口が少ない町です。
しかし、今や、上勝町は、葉っぱビジネスと、ゼロ・ウェイスト宣言(ゴミゼロ運動)の町として全国からの視察が引きも切らない町となっています。
上勝町では、和食を美しく飾る季節の葉や花、山菜などを、栽培・出荷・販売しています。その種類は、320種以上あり、年間を通して出荷されています。
その葉っぱビジネスは、商品が軽くきれいなため、おばあちゃんでも取り組むことができ、現在の年商は約2億6000万円にもなっています。おばあちゃん達はパソコンやタブレット端末を使いこなし、栽培した葉っぱを全国に出荷しています。中には年商1000万円を稼ぐ人も出ています。
そんな上勝町ですが、戦後、他の過疎地域のご多分に漏れず、人口の減少が続き、当時の主力産業であった木材やみかんも振るわず、さらに追い打ちをかけるように、1981年、主力産業だったみかんの樹が、異常寒波により枯死し、経済は大打撃を受けました。
上勝町では、この危機をチャンスに変えました。葉っぱビジネスの開始です。
その後、2003年に全国で上勝町がはじめて宣言した「上勝町ごみゼロ宣言」なるものを発表しました。これに基づく高いリサイクル率など、「循環型社会」の先進自治体としても注目を集めています。
葉っぱビジネスの隆盛やごみゼロ宣言など結果を出しながらも、移住者は増えてはいるものの、高齢化による自然減のほうが依然多く、人口増加や町の持続性は、変わらず町の最重要課題です。
観光・交流の活性化:青森県田舎館村 田んぼアートの村
青森県田舎館村は、青森県中央部、津軽平野に位置する村で、青森県内では一番面積が小さい村です。米づくりがさかんです。村内には、弥生時代中期末の水田跡が656枚発見され、北方稲作文化発祥の地としても知られています。
人口も、昭和50年代の1万人超から徐々に減少し、2022年9月1日現在、人口は、7088人です。
そんな田舎館村は、年間30万人を超える人が訪れる田んぼアートの村として有名です。年間入館料収入も平成28年度には、約9300万円に達しています。その田んぼアートは、1993年に始まりました。
しかし、田舎館村の村おこしも最初はなかなか軌道には乗りませんでした。なにをしても、いくら予算をかけても人が集まらないことが続きました。
しかし、2100年の歴史を誇る村の基幹産業である稲作で、何とか地域おこしができないか検討していたその時、2色の古代米と現在栽培されている緑の稲を組み合わせて、田んぼに文字や絵を描いてはどうだろうかという提案がありました。
最初は、簡単な絵と文字で、参加者も数10人からのスタートでした。最初の9年間は同じ図柄でした。徐々に絵柄は繊細になり、また、展望台から見てどう見えるかを計算し、展望台から見て一番きれいになるよう下絵が作られました。このころから、田んぼアートと呼ばれるようになり、天皇陛下もご覧になられました。
もともとあったものを活用して、地域活性化につなげる試みは、大きく成長しています。さらに、田んぼアートを見せるだけでなく、実った稲の収穫体験など、派生した企画も生まれてきています。
地域活性化の取り組み失敗例 2例
さまざまな自治体や事業者が、「これぞ!」と考え、いろいろな地域活性化の取り組みをしています。なかには、想像したような成果が得られず、取り組みを断念したり、縮小したりする例もあります。
成功例だけでなく、失敗例から学ぶことも多いです。ぜひ、他山の石としてほしいです。
青森県青森市:コンパクトシティ構想の失敗
コンパクトシティ構想とは、人口減少や少子高齢化に悩む地方自治体が、徒歩で移動できる都市の中心部に住宅や商業施設、行政機関などを集積させようというもので、国も支援に乗り出して注目されてきました。
その成功例として多くの自治体が視察に訪れ、もてはやされてきた青森市ですが、結局、構想はとん挫し、最終的に、コンパクトシティ構想の失敗例として烙印を押されています。
その計画では、2001年、JR青森駅前に、青森市が約185億円をかけて、複合商業施設「アウガ」を建てました。「アウガ」は、コンパクトシティのシンボルとして、マスコミにも取り上げられ、地元はじめ全国の自治体からも視察が押し寄せました。
「アウガ」は、地下1階、地上9階建て、10代~20代向けのテナントを含む多くの店舗がはいり、図書館には年間600万人が訪れました。地下には、昔ながらの生鮮食品を扱う市場が入り、前途洋々とした船出だと人々は考えました。
ところが、華々しいスタートとは裏腹に、内情は、初年度から大幅な赤字に見舞われます。その後、紆余曲折を経て、2017年にはアウガ内の地下の市場部分以外の商業施設がすべて撤退し、第三セクター・青森駅前再開発ビルも経営破綻してしまいます。その後、「アウガ」には、市の窓口業務が入っています。
「コンパクトシティ構想を、中心市街地活性化、商業活性化と単純化したところに誤解があった」とは、市のある経営者の言葉ですが、過疎や人口流出に悩む地方では、コンパクトシティ構想は間違っていないかもしれません。
ただ、青森市の場合、行政がノウハウもないまま商業ビルの運営に乗り出したことや、第三セクターの補助金頼みの不明朗な経営が失敗の大きな原因であるように思われます。
福島県会津若松市:地域限定電子マネーの失敗
福島県会津若松市では、地域経済の活性化のための施策として、「地域限定電子マネー」を導入します。
この電子マネーの特徴は、地元でしか使えないけれど、地元の加盟店で使えば、「ポイント」が貯まります。さらに、健康診断の受診、ボランティアへの参加でもポイントが付与され、そのポイントは、地元での買い物に使えるという、地域密着型の電子マネー・システムでした。うまく機能すれば、地元のお店も住民もウインウインのいいシステムになるはずでした。
ところが、会津若松版地域限定電子マネーは、大失敗に終わります。不名誉なことに、地域活性化の失敗の代表例として、前項の青森市のコンパクトシティ構想の失敗と常にセットで、紹介されています。
実際、この事業に1200万円の交付金が使われましたが、決済総額は約18万円だったといいますから、失敗の代表例とされても仕方がありません。
では、なぜ、失敗したのでしょうか?
ひとつには、市民の多くが、この地域限定電子マネーの存在自体を知りませんでした。つまり、ほとんど周知されていませんでした。
さらに、この地域限定電子マネーが使えるお店がほとんどなかったということです。市は、100店舗程度を想定していましたが、実際に登録したお店は11店舗だけだったと言いますから、開いた口がふさがりません。
市民がその存在を知らず、使えるお店がほとんどなかったら、成功するはずがありません。
結局、地域経済を活性化するために地域限定電子マネーを導入するという考え自体は間違っていなかったのですが、地域の実情に合っていなかったことが敗因だと言えるでしょう。
まとめ

この記事では、地域活性化成功のための成功例と失敗例を見てきました。地域活性化を考えておられる方に、失敗例を示すのは、ウェットブランケットのような気もしますが、実は、成功事例をむやみに取り入れても、地域の実情に合っていなければ、失敗します。失敗事例から学ぶことは多いです。
さらに、成功のためには、地域資源を有効に活用すること、長期的展望をもって事業を策定することが大切です。